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【亀之物語】 第二章 -憲明回想- その壱「軍の命令や!!」

軍の命令や!!


染め屋の次男坊として生まれ、高校生の頃から色合わせや桶洗い等々、家業の手伝いをして
いました。但し大学では染色とまったく関係のない経済学を専攻しました(兄が芸大で専攻し
たのは染色でした)。その頃の父・富三の口癖は「軍の命令や!!」。
とっくに死語になっている言葉ですが、親父の命令は絶対的ですし、ときには「天皇陛下の命令や
!!」なんてことも言い、我々兄弟を服従させていました。ところが業界の方々、父の友人・知人からは「思慮深い紳士」と言われており、外面と内面がまったく異なる人物だったような気がしてなりません。
 そんなこんなへの反発心もあって私は大学の卒業を控え、いわゆる〝就活〟を始めたのですが、
瞬く間に父の逆鱗にふれてしまいます。「お前が就職? お前には和明(現・会長)の〝あかん〟とこ(お金の勘定すなわち会社経営)を補う役目がある。よその会社の金儲けなんかせんでええ。これは軍の命令や
!!」と命令され、亀田富染工場に入社したわけです。
 そうして今日に至るまで、工場での色合わせから営業、経理、総務、庶務、しかもパソコンなんてない時代でしたから、振替伝票の発行や元帳づけ、試算表づくりまで、すべて手書きでしていました。結果、月末の元帳締めでは赤色のボールペンを握って終日、日曜も休みもなく、朝から晩まで働いていました(兄は祇園をパトロールしていました)。おかげで電卓を叩くのが得意になりました。しかし帝国陸軍の軍人そのものだった父も長生きできず、先述のように五十九歳で他界します。私が二十八歳、兄は三十一歳で三代目社長になりました。着物業界の衰退も先述のとおりですが、中森明菜がニューキモノ風の衣装を着て歌った『DESIRE─情熱─』という曲が大ヒット。大正浪漫調のキモノもブームになり、着物業界はジリ貧から脱したのですが、活況はながく続きません。決断力〝だけ〟は天才的な宇宙人、兄は洋服のプリントを手懸けることを決断。やがて「パゴン」につながっていく一歩を踏み出します。


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