百合は、早くから鑑賞の対象とされて来ましたが、意外にも文様としては少なく、桃山時代の能装束に写実的な百合が見られるくらいです。姫百合、笹百合、山百合、鬼百合、鉄砲百合などの種類があります。明治末期、洋花の流行と共に写生風の図柄が現れ始め、大正期以降には着物の文様としても見かけるようになります。華やかで、どこか西洋風な風情が好まれたようで意匠化せずに写実風に表現する傾向があります。
キリスト教では、白い百合を純潔の象徴、聖花として聖母マリアに捧げる習慣があり、白百合は聖母マリアの花とも言われています。
日本でも日本書紀や古事記などの古記録に百合にまつわる物語が見られ、その中のひとつに神武天皇とイスケヨリヒメのロマンスがあります。奈良の率川神社では、今でもその物語をもとにした「ゆりまつり」が行われています。
率川神社は、神武天皇の后とされるヒメタタライスズヒメノミコト(古事記での名はイスケヨリヒメ)とその両親の親子三人が奉られています。イスケヨリヒメは、山百合の咲く三輪の清らかな狭井(サイ)の泉のほとりに育ちました。妹達と野に遊んでいるところを神武天皇に見初められて求婚され、そして神武帝は姫と狭井の泉のほとりで一夜を過ごされました。「サイ」の名称の由来を山ゆり草の名が「佐韋(さい)」といったからだ、と古事記には記されています。その物語を縁りとして「ゆりまつり」では、イスズヒメに百合の花が供えられます。
百合の花言葉は「純潔」「清純」でもあり、聖母マリアやイスケヨリヒメの物語からも、清らかな乙女の象徴であったように思われます。また美人を表す言葉に「歩く姿は百合の花」と例えられたように、凛としたその花姿は人々の心をとらえて離さなかったのでしょう。百合の花を画面いっぱいに散らした「百合ちらし」の柄は、百合のもつ美しさを流れるようなラインで表現しています。身につけることで上品さと美しさを与えてくれるようです。