蔦は、楓によく似た手のひら状の葉と蔓をなした茎が美しく、その風情が好まれて平安時代には絵巻物に描かれました。衣装の文様に用いられたのは、桃山時代からです。
蔦は、他の樹木や建物につたわって、どんどん伸びることから、生命力の強い縁起の良い植物として家紋にも採用されています。
「蔦」と言う字は、地上に繁殖する「草」と、空を翔る「鳥」とを組み合わせたもので、ここからも「めでたさ」を感じることが出来ます。また、蔦の絡まって繁殖する様を、馴染み客と一生離れないことにかけて、芸妓たちが好んで用いたとも言われています。
謡曲「定家」では、藤原定家と深い契りを結んだ式子内親王が亡くなった後、定家も亡くなりましたが、その執心が蔦葛となり内親王の墓にまとわりついた、とうたっています。ここからも蔦の姿が、離れがたい人の心を象徴するものとして考えられていたことが窺えます。
蔦と共に描かれているのは、菊と牡丹です。 菊は、奈良時代に中国より薬用として日本に伝わり、その後、長寿を意味するモチーフとして描かれるようになりました。生命力平安時代には、宮中で重陽の節会が催されるなど観賞用として用いられるようになり、春の「桜」に対して秋は「菊」というように、日本の秋を代表する花として現在も愛好されています。
牡丹は、その豪華絢爛な花姿から百花の王といわれています。別名「富貴花」とも呼ばれ、豊かさに対する人々の憧れを象徴しています。
蔦と菊、そして牡丹が、一枚の美しい絵画のように描かれるこの柄は、蔦のイメージそのままに見る人の心を捉えて離さないような、そんな魅力を秘めているのです。