日本を古くは「豊の秋津国(ゆたかのあきつくに)」と呼んでいました。秋津(あきつ)とはトンボの事です。
「トンボの飛ぶ豊かなよい国」という意味であると『日本書紀』に書かれています。弥生時代の銅鐸にも蜻蛉の文様を見る事ができます。
このように古い古い時代から蜻蛉は日本人に親しまれてきた文様なのです。
鎌倉時代には、蜻蛉は敏速に飛翔しながら小虫を補食し常に前に進み決して後退せず、攻撃的である事から「勝虫(かちむし)」・「勝軍虫(かちいくさむし)」と呼ばれ武士に好まれました。武士の衣服の文様や武具の文様に用いられたのです。「勝負」を「菖蒲(しょうぶ)」とかけ合わせた「蜻蛉菖蒲」や、武具の「矢」と組み合わせた「矢車に蜻蛉」など、武将の縁起担ぎからこのような柄も見る事ができます。
江戸時代には能装束や小袖に蜻蛉の文様が見られます。蜻蛉は物の頭(先)にしか留まらないので、人の頭(かしら)に成長して欲しいとの願いを込めて男児の産着の模様としても好まれました。近代に至っては水辺を思い浮かべる涼しそうな柄として夏の絽の着物や浴衣の柄として使われる事が多いようです。