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てっせん
てっせん

潮汲み桶(しおくみおけ)に秋草が活けられているこの図柄は、大正時代のものです。
ここにある撫子(なでしこ)、桔梗(ききょう)、女郎花(おみなえし)は秋草(あきくさ)と呼ばれています。てっせんも秋草のひとつですが、これらが実際に咲くのは夏で季節に先駆けて咲く花を身にまとうお洒落心が伺われます。水と組合せて涼しい感じを表したこの柄は夏の着物に描かれていました。

この柄が描かれた頃は謡曲が盛んだった時代で、当時の人はこの柄を見て謡曲「松風」に出てくる若い女性の悲恋を思い浮かべた事でしょう。
「松風」は松風(まつかぜ)・村雨(むらさめ)姉妹の物語りです。在原行平(ありわらのゆきひら)は時の天皇の怒りに触れ須磨の地に配流されて侘びしく暮らしていました。その時、潮汲みに通っていた多井畑の村長の娘”もしほ” “こふじ” の姉妹を愛おしく思い、名を尋ねたが名乗りません。その時、松林を一陣の風が吹き抜け娘達の頬を通り過ぎ、パラパラとにわか雨が娘達の黒髪に降り掛かったのです。そこで行平は娘達に”松風” “村雨”の名を与え仕えさせたのです。三年後、許され都に帰る行平は「立ちわかれ稲葉の山の峯に生ふるまつとし聞かばいま帰り来む」の歌を残し烏帽子(えぼし)と狩衣(かりぎぬ)を傍らの松の木にかけ、姉妹への形見として去ったのです。姉妹はたいそう悲しんで庵を建て観音菩薩を信仰し行平の無事を祈り暮らし、寂しくこの世を去ったのです。
現在も神戸市の須磨にはその観音堂の跡や狩衣を掛けた松や行平伝説ゆかりの多井畑の地名などが残っているのです。