大正8年(1919年)京友禅の染屋として先々代亀田富太郎が創業
小さな4畳ほどの間を借りて、商いを開始。戦争が始まり染料の生産さえ許されない厳しい時代が訪れていました。いつかきっと明るい世の中が訪れ、人々は明るい着物をまた着る。そんな時代にいつかなって欲しいという思いを込めて、赤や黄色などの明るい色の染料と炭を蔵の縁の下に置いて、戦争の時代を耐え忍びました。そして戦争が終わり、亀田富太郎の妻・ふさゑがその明るい染料を取り出し、これまでになかった明るく派手な着物を作りました。それらが京都の人々の間で着られる様になりました。