2019年、信州小布施・北斎館所蔵の葛飾北斎「上町祭屋台天井絵 怒涛図 男浪」を許可を得て京友禅染で復刻し新柄として発表しました。
葛飾北斎の作品を京友禅染で表現するのは2作目となり、立ち上がりは2017年、葛飾北斎「富嶽三十六景」に描かれた清々しいまでに豪快な大波に着想を得てアレンジを加えて「大波」として発表したのが1作目です。
水の風景に恵まれた日本で、『水』にこだわり、それを主題にした絵を描いたといわれる葛飾北斎。「絵に描けぬものはない」という信念のもと、いかようにも形をかえる波の姿を静止画として描き出しました。
そんな葛飾北斎の躍動的な波に魅せられたPagongスタッフの想いから今回は信州小布施・北斎館の協力を得て葛飾北斎「上町祭屋台天井絵 怒涛図 男浪」の復刻というかたちでコラボレーションを実現しました。
江戸の浮世絵師、葛飾北斎は90年の生涯で、代表作の「冨嶽三十六景」『北斎漫画』をはじめ、多くの錦絵・絵手本・肉筆画などを製作しました。
ヨーロッパの芸術家に大きな影響を与えたとして世界における評価も高く、1998年にはアメリカの雑誌『ライフ』で「この1000年でもっとも偉大な業績を残した100人」として、日本人でただ1人選ばれました。
様々な奇行の記録が残っている北斎ですが、彼は生涯に30回以上改号しています。
使用した号は「春朗」「宗理」「北斎」「辰斎」「百琳」「雷斗」「画狂人」「雷辰」「画狂老人」「卍」などがあげられます。
現在広く知られる「北斎」は、当初名乗っていた「北斎辰政」の略称で、これは北極星および北斗七星を神格化した北辰妙見菩薩信仰にちなんでいるといわれています。
また北斎の93回という引っ越しの多さも有名な話です。北斎と助手をしていた娘のお栄が絵を描くことのみに集中し、部屋が荒れたり汚れたりすると引っ越しするという生活を続けていたからともいわれます。
1842年 北斎は83歳の頃に初めて信州小布施を訪れます。そのきっかけは幕府の天保改革で江戸には居づらかったとも、地元の豪商・高井鴻山の招きに応じて訪れたとも、さまざまな説があります。小布施では、鴻山の庇護を受け、アトリエというべき碧漪軒(へきいけん)を与えられました。
二人の関係は「先生」「旦那様」と呼ぶほど親密なものでした。非常に恵まれた環境の中で、晩年を迎えた北斎は小布施で肉筆画の大作に挑みます。
そして86歳の時に鴻山からの依頼で祭屋台の天井絵「男浪」「女浪」を手がけました。
小布施には他にも東町祭屋台天井絵「龍図」「鳳凰図」や岩松院収蔵 天井絵「八方睨み鳳凰図」など晩年の肉筆画が多く残されています。
今回Pagongで復刻したのは怒涛図「男浪」です。
「上町祭屋台天井絵 怒涛図 男浪」は弘化二年(1845)から翌三年にかけて北斎によって制作されました。
砕け散る波頭、逆巻く大波、大海の荒々しさが見事に表現されています。
波の描線に力強さがあり、見る者を呑み込んでしまうような勢いさえ感じられる作品です。
信州小布施・北斎館の館長さんや副館長さん、スタッフの方々と打ち合わせを重ねて、協力し繰り返し試行錯誤を重ねてどこまでも続く波の奥深さにこだわり表現しました。
伝統工芸士の型屋さんとも相談し型枚数14枚を作成しました。
14枚の型の内10枚は青色です。
しかし黄色や赤色などわずかな染料を調合し、10枚それぞれが少しずつ違う青色を使います。
この「怒涛図 男浪」の波の奥深さはわずかに違う青色を重ねることで表現しました。
実際にPagongの職人が「怒涛図 男浪」を染めていく様子を動画にしました。
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