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梅竹に菊籬
梅竹に菊籬

歌舞伎衣裳「梅竹に菊籬文様裲襠」の柄を友禅染めで表現しました。元の着物は、近松門左衛門作の浄瑠璃「夕霧阿波鳴渡」の一場面をもとにした歌舞伎「廓文章」の中で、遊女、夕霧の衣裳として登場します。
夕霧は、大阪新町に実在した遊女です。大変美しい太夫でしたが、27歳という若さで亡くなってしまい、その死を惜しんでいくつもの浄瑠璃や唄が作られました。
近松門左衛門は、そうした様々な「夕霧もの」と呼ばれる作品を集大成し「夕霧阿波鳴渡」を書いたといわれています。
夕霧は、三名太夫の一人とされ、『江戸の「高尾」、京の「吉野」、新町の「夕霧」』と呼ばれたと言います。
大変闊達な女性で、色白で物腰よく、芸事に優れ、酒も強く、魚屋や八百屋とも口をきき、それでも卑しくなく、浮気らしく見せても賢く、情け深いが溺れることなく、客が命を捨てる覚悟で口説いても道理を説いて遠ざかる、という理想の名妓だったと伝えられています。

「廓文章」では、その夕霧と恋人、伊左衛門との物語が描かれます。
伊左衛門は、もとは大店の若旦那でしたが、遊蕩を繰り返したため勘当され無一文になってしまいます。
伊左衛門を心配するあまり病気になってしまう夕霧。お金はないが一目会いたいとやって来た伊左衛門でしたが、夕霧は別のお座敷に出ており、すぐに会うことが出来ません。
伊左衛門の嫉妬により喧嘩をしてしまう二人でしたが、最後には仲直りをし、伊左衛門も許されて勘当が解かれ夕霧を見受けする、というお話です。
実際の夕霧は早くに亡くなってしまったのですが、物語では「夕霧は生きて見受けされ幸せになる」というハッピーエンドで描かれています。
このことからも夕霧が亡くなってからも愛され続ける女性だったことがうかがえます。

この衣裳に描かれているのは、吉祥文様としておなじみの「梅」「竹」「菊」と「籬」です。
「梅」「竹」「菊」はそれぞれ吉祥文として古くから多用されています。「梅」は厳寒に咲いて春を告げ、「竹」は茎が中空になっていることから利益をもたらす、「菊」は延命長寿の象徴とされています。
「籬」とは、竹や柴などを荒く編んで作った垣のことで、家屋の周囲に囲いとして設けられたものです。垣は外から見て一番に人目につくことから、古くから特に工夫して作られました。その形、構造の美しさから柄として様々に用いられています。
特に菊と組み合わせたものは「菊籬」とも呼ばれ、よく見られる組み合わせです。これは、菊の茎を垣に結んで支える栽培方法から流行したとされるほか、中国の陶淵明、および白楽天の詩に由来するとも言われます。
垣の中に咲く美しい花たちは、まるで囲いの中に住んだ夕霧のようです。この柄を身につければ、亡くなってからもなお人々の心を捉えて離さなかった彼女の美しさにあやかれるような、そんな気がいたします。