平安時代になると、それ以前の梅を愛好する風習に代って貴族たちは桜花の宴を催すようになりました。
日本在来の桜の美しさや趣(おもむき)が認識されたこの時代を経て、桜は日本の春を代表する花となり、「花と言えば桜」と言われるほどに日本人に親しまれるようになってゆきます。
この柄に描かれる『散る桜』の情景は、満開の花が舞う美しさに、散りゆく姿への一抹の寂しさを伴って、日本人にとっては大変風情を感じる一瞬なのではないでしょうか。
舞い散る桜の花びらとともに風に舞っているのは扇面(せんめん)ですが、扇は日本で作られたものです。末が広がっている形状から末広がりと言われ、吉祥文として愛好されました。この柄のように扇に貼る紙の部分だけを描いた文様は『地紙(じがみ)』と呼ばれ、この地紙には様々な美しい文様が描かれます。この柄でも地紙には「菊に亀甲(きっこう)」「牡丹と七宝(しっぽう)」「松と流水(りゅうすい)」の組み合わせで柄が描かれていますが、これらももちろん吉祥柄です。
桜と扇面が舞う中に、流れるように描かれる細い紐状のものは、『熨斗(のし)』です。『のし』はあわびの肉を薄くそぎ、引き延ばして乾燥させたもので、古くは食用として、後に儀式の肴(さかな)に用いられました。その後、江戸時代には、これを細長く折り畳んだ熨斗紙(のしがみ)にはさみ、延寿(えんじゅ)の願いをこめて婚礼の結納品や進物(しんもつ)などに添えるようになりました。現代では、この『のしあわび』を簡略化して黄色の細片にしたり、熨斗袋のしぶくろなどでは、更に簡単に印刷で代用したりしています。この『のし』の形を模した細長い紐状の柄は、吉祥柄のひとつとして現在でも振袖や袋帯に用いられています。
この柄では、吹く風の流れを『のし』が上手く表現しており、その風にのって舞う扇面に散りゆく桜花が、平安の昔、貴族たちが楽しんだ花宴(かえん)の席の風流を伝えているかのようです。古くより続く日本の春の趣深い1シーンを切り取ったような美しい柄です。