青海波(せいがいは)とは、扇形状の波を上下左右に反復した波文の一種です。エジプトやペルシアをはじめ世界各地に見られる文様で、海にまつわる伝説や民族信仰の多い日本においては、大海原を表す青海波は海がもたらす幸福を呼び起こすとされるほか、このように静かに凪(ない)で、無限に広がっていく波のイメージから「永遠」「不老不死」に繋がる吉祥文様でもありました。
青海波という名前の由来は、同名の雅楽の舞曲「青海波」の装束に用いられたことからと言われます。
この舞曲は「源氏物語」の「紅葉賀(もみじのが)」の帖に源氏と頭の中将(とうのちゅうじょう)が共に舞う場面が描かれています。
「紅葉賀」は、源氏と藤壷宮(ふじつぼのみや)の間に不義の子が生まれる前後を描いた帖です。源氏の父であり、藤壷の夫である桐壺帝が藤壷の為に特別に開いた試楽(リハーサル)の席で、源氏が舞うのが青海波であり、源氏の美しさ、その舞いの素晴らしさが描写されています。その場に集まった皆が、その美しさに酔いしれる中、藤壷の心中は決して穏やかではありませんでした。源氏が賛美されればされるほど、不義の子を身に宿した藤壷にとっては、己の罪が思いやられ苦しかったのかも知れません。そんな重要な場面で描かれた舞楽、青海波は、舞いの名手でなければ決して踊りきれるものではない、という難しい演目のようです。源氏が、それを披露し賛美を浴びるという描写は、光源氏の素晴らしさを引き立てる役割をも負っていたのかもしれません。「青海波」は、光源氏も身に付けた柄という訳ですね。彼が手に入れた栄華や、その当時の雅やかな雰囲気が思われます。
この柄のように、菊を並べて青海波に見立てた意匠は江戸時代には既にあり、菊以外の花や、鮫小紋と呼ばれる点描で青海波を描いたりもしました。
菊は、奈良時代に中国から薬用として伝わりましたが、中国では菊の葉にしたたり落ちた露を飲むと長寿を保てるとの菊慈童(きくじどう)の故事から、菊は長寿の象徴でした。平安時代に、重陽の節句に菊酒を飲んで長寿を祝う習慣が貴族の間ではあり、菊が長寿を表すものとなっていきます。
長寿の象徴である菊と「不老不死」に繋がる青海波が組み合わされたこの柄は、まさに不老長寿を願うに相応(ふさわしい)柄です。この柄を身につければ、いつまでも若々しく、幸せいっぱいの人生が送れるかも知れませんね。