熱帯地方に棲む孔雀は美しい姿をしており、古くから多くの国々で愛され、中国では九徳を備える瑞鳥(ずいちょう)とし、牡丹と共に描かれていました。
日本では孔雀は奈良時代、新羅(しらぎ)から献上品としてインドなどの南国の珍しい鳥として持ち込まれてきました。
正倉院には孔雀と百合の珍しい刺繍の図柄も残っています。
インドでは毒虫(毒蛇)を食べる鳥として珍重されており、毒蛇を食べて釈迦を守ったという話があります。密教では雨乞いをする時、孔雀経(くじゃくきょう)を使います。孔雀の模様は仏教と密接なつながりがあり、仏具にも多く描かれています。
日本でも毒よけ、悪よけに使われており、貴族の家に祭られ信仰の対称として孔雀は扱われてきたのです。御所に孔雀の間があり宮廷の中で孔雀を飼ってもいました。
桃山時代になって南蛮貿易(なんばんぼうえき)が盛んになり、西インド会社が南の珍しい象や孔雀を持ち込むようになってきました。東
インド会社は逆にそれらをモチーフにした工芸品を日本で作りヨーロッパへ持ち込んだのです。日本は漆工芸(うるしこうげい)などの工房となっていたのです。
絵画の世界でも奈良時代からずっと百鳥の王(ひゃくちょうのおう)として鳳凰が描かれてきたのですが、桃山時代になると百鳥の王は孔雀にかわってきます。それまでの天上賛美が地上賛美、現世賛美に変わってきたのです。そして孔雀は信仰の対称から美しい、エキゾチックな模様として扱われるようになってきました。
孔雀の柄が衣裳の図柄に使われだしたのは江戸時代です。特に長く美しい尾羽を広げた雄の姿を描いたものが多く、華やかな吉祥文様として婚礼衣裳等に今も受け継がれています。