一般に「唐獅子牡丹(からじしぼたん)」と呼ばれる獅子と牡丹の組み合わせ文様は、謡曲「石橋(しゃっきょう)」に由来します。平安の歌人大江定基(おおえさだもと)は出家して寂昭法師(じゃくしょうほうし)と名乗り、唐・天竺へと渡る途中、清涼山(せいりょうざん)へとさしかかります。目も眩(くら) むような深い渓谷には幅の狭い石橋がかかり、渡ろうとしたところに童子が現れ「この橋は人間が渡れるものではない。向いの山は文殊菩薩(もんじゅぼさつ)の浄土である。ここで待てば、やがて奇瑞(きずい)があらわれるであろう。」といって消えます。暫くすると獅子が現れ、国土安穏(こっかあんねい)を祈念し、咲き乱れた牡丹の間を舞い戯(たわ) むれたのでした。
獅子は想像上の動物で、文殊菩薩に使える霊獣で、文殊菩薩は知恵を授ける仏様です。また、密教では地鎮祭のとき文殊菩薩を本尊としてお祭りします。家が栄え、安寧すると信じられているからです。このように「石橋(しゃっきょう)」は徳の有る、めでたい世界が描かれた謡曲なのです。
獅子は百獣の王、牡丹は百花の王、この二つは最強にして最上の組み合わせで、昔から武将や大名が好んで御印(みしるし)として身辺の調度や衣服の文様に使いました。
また、獅子は千尋(せんじん)の谷にわが子を突き落とし、駆け登ってきた勇猛な子だけを育てるとも言われています。この謡曲「石橋」に取材した歌舞伎からは「連獅子」「鏡獅子」などの舞踊が生まれています。のちには舞踊の衣裳である長い毛と牡丹を付けた扇笠が文様化されるに至りました。