大正時代から昭和時代初期の男物羽裏(はうら)にあった柄を復刻したものです。
金貨としての大判は、豊臣秀吉が京都の後藤徳乗(ごとうとくじょう)に作らせた「天正大判(てんしょうおおばん)」が始まりと言われています。
大判は一般の通貨として使用されず恩賞(おんしょう)、献上(けんじょう)などの特殊な目的に当てられた特殊金貨でした。その後、江戸時代には10種類の大判が作られました。中央に「拾両(じゅうりょう) 後藤 (花押かおう)」と肉筆で縦に墨書きしてあります。この柄にはありませんが本物の大判には「拾両 後藤 (花押)」が中央に書かれその天地左右に極印が打刻されています。後藤宗家(ごとうそうけ)が代々大判など貨幣製造権を独占しました。大判にある花押(かおう)は後藤徳乗の「乗」字を形象したものです。
小判は純然たる通貨として徳川家康が後藤庄三郎光次につくらせました。当初は徳川氏領内の通貨として使用されていたようですが徳川家康の全国統一に伴って全国通用の通貨となったのです。小判には「五三桐紋(ごさんのきりもん)」「壱両(いちりょう)」と刻印されており、他に製造者、小判師の極印も打刻されています。
大判が「拾両」、小判が「壱両」ですから大判1枚は小判10枚に換算されると思うのですが、金の量目で計算されていましたので44匁(165.4グラム)の大判一両は4.4匁になり、小判(一両)は4匁7分6厘(慶長小判の場合 約17.9グラム)ですから、大判1枚が小判10枚には換算されないのでのです。
この柄では大判小判は省略化して描かれています。地紋は「あられ」という小紋です。この着物を着ていれば大判小判が雨霰(あめあられ)のように降って来る(?)という、とても縁起の良い柄です。「大判 小判」のアロハシャツを着てお金持ちになってください。